小沢健二から1995年と令和を思う
YouTubeで山田玲司のヤンサンを見始めた事もきっかけになり『1995年』についてまとめてみたり、思い出したり、考えてみたくなった。令和の時代も散々である。みうらじゅんがチャールズブロンソンに問うように、自分は小沢健二に問いてみようと思いGoogleで『小沢健二』 『1995年』と検索してヒットした資料である『1995年/速水健朗』を読んだ。
1995年1月17日 火曜日 午前5:46に震度7の地震が発生する。近畿圏内に被害をもたらす。
当時、小学生だった自分がテレビの映像で思い出すのは、高速道路が倒壊している場面や街が火災で燃えている事だった。 寝る前にガスの元栓を閉めようとなったのはこの時期からだった。
当時の首相は村山富市だった。印象はまつ毛の長い人という印象だった。
震災から二ヶ月後である1995年3月20日 5月20日 に地下鉄サリン事件が発生した。
令和になってからも散々な年だなと思うが、1995年もきつい時代である。バブル経済崩壊後、経済の停滞により「失われた10年」「失われた20年」と呼ばれる。 1971年〜1972年生まれの団塊ジュニア世代が大学を卒業して社会に出る時代だ。
以上の事から大谷ノブ彦(ダイノジ)ブログで「僕らが1番しんどいときに小沢健二はその細い身体で全部引き受けたと本に書いていた。
小沢健二は1995年「強い気持ち・強い愛」や「さようならなんて云えないよ」では『生の肯定』をしている。
2019年リリース小沢健二の『彗星』という曲
そして時は 2020
全力疾走してきたよね
1995年 冬は長くって寒くて
心凍えそうだったよね
再度、小沢健二の良さに気づいた事と、明るい日本の未来が来ると良いなと思っている。